1.商業コンテンツ提供の際にP名を使うのはOKかNGか

 喧々諤々の大半はこの問題に終始しているようです。
 今回の『ツンデレかるた』は著作権的には白。しかしP名というのはMAD製作者としての名義であり、著作権的に黒なものに関わっている証拠。この点で批判者と擁護者がぶつかっているわけです。
 また、この企画は[アイマス]とも[ニコニコ動画]とも関係なく、「関係ないのだから『P』を使うべきではない」という意見と「関係ないけど使っても良い」という意見が分かれています。

 では、それぞれの切り口を見ていきましょう。

MAD製作者としての倫理の問題≒著作権に対する意識の問題。

著作権的に黒であるMADの製作者が『表』の世界に出るな。せめて裏を悟られないようにしろ。(批判者)
・MADは著作権的に黒だが、その製作者が表に出るのに問題は無い。(擁護者)

 前者は例えば哀川 翔PATollP、後、アイドルマスター てってって〜 時代劇風で名を博したDie棟梁Pが。後者は敷居の先住民さんなどが主な論客と言えるでしょう。

 前者は「MAD製作者はいわば犯罪者なのだから、大手を振って表を歩いてはいけないし、それができる世の中であってはいけない」という理論に基づいています。この理論は規範意識に根差す所よりもむしろ「『表』の側から目をつけられるような行動を出来るだけ慎むことで、MAD業界に対する批判を予め回避する」という考え方に拠るものが大きいようです。こういった意識はMAD氷河期、即ち

MADがサイトに偽装ファイルや分割ファイルって形で置かれて
更に幾十ものパスがかけられて配布されてたって時代
春香の脇を舐めたい‐哀川 翔P

に生まれており、この言葉はこういった時代をを経験した人々による経験則に基づいたものであるわけです。出来るだけ隠れるという従来の方法で業界を守ろうとしているので、「MAD保守派」と言えます。


 後者の意見は大きく分けて二つ。
id:sikii_jさんはいわゆる『MAD氷河期』を体験しながらも

こっそりと隠れていることなんてもう既に出来ていないんだから、後はどのように露出していくべきかということを考える段階に入っているんじゃないでしょうか?
(釘宮理恵のツンデレカルタ企画のスタッフにアイマスのPが大量参加‐敷居の先住民)

と仰っています。MADの新しいあり方を模索しているという意味では「MAD革新派」と言えるでしょう。

 また、哀川 翔Pが

たぶん「ニコからMAD系見始めたよっ!」
って人からするとそこまで問題があるように見えないと思う。
(棚上げ日記〜ツンデレカルタ騒動 その1〜‐春香の脇を舐めたい)

と仰っているように、『MAD氷河期』を経験していない人、特にニコニコ動画から入った人にとっては問題自体を認識できないのかもしれません。
 何しろ、ニコニコ動画では「JAMプロジェクトがMADを黙認しつつも新たなネタを提供する」なんて事が起きていて、著作権的に黒の部分と白の部分が以前から比べて非常に接近している。こういった潮流の中で育った人は、著作権問題は知っていても、何故MADの存在を秘匿するのにそこまで腐心しなければならないのか、何故著作権をそこまで恐怖するのか理解に苦しむでしょう。そうして保守派から「これだから意識の低いゆとりは」と非難されるわけです。
 彼らは、「革新派」と言えるほど現状に対して積極的ではないけれども、革新の流れを当然のものと受け止めている「ニューエイジ」と言えるでしょう。



 さて、前者はATollPご自身が仰っているように「旧い考え方だ」と、後者は「MAD業界を危険に晒す考え方だ」と互いに批判されています。この意見の違いは即ち現状認識の違いとイコールと言えます(まあ世の中の意見対立なんてものの殆どはそうなんでしょうけれども)。つまり、今のMADを取り巻く現状を「製作者にとって茨の道」と捕らえるのが前者。だから存在を消すことで身を守ろうとするわけです。対して後者は「製作者にとっては一つのチャンス」と捉えます。だからMAD製作者の側から打って出ることに抵抗を感じない。
 この問題に対して意見を表明するということは、自分の意見をこのバランスのどの辺りに落とし込むかと同義だと思います。


 さて、MAD製作者の倫理の倫理から「P名を使っての商業コンテンツ制作」を語ってみましたが、この問題に対する意見は逆に「商業コンテンツを提供する側の論理」で語られる場合もあります。つまり「商業コンテンツを提供する者が裏で著作権を侵害していてはいけない」つまり「商業コンテンツを提供する者は著作権を遵守する者でなければならない。あるいはその『振り』をしていなければならない」、逆に「商業コンテンツを提供する者と言っても、裏で何をしていようと関係ない」というものです。

 面白いことに、この意見を表明する人からもこの意見に反対の立場を取る人からも「同人作家の商業移行」が引き合いに出されますね。「同人作家だって商業に移行する時代なんだから、商業作品にP名を使っても問題ない」「同人作家が商業移行する場合は名義を変えていることが殆ど。これは著作権を侵害する者と主張する者としてのけじめ」「有名すぎて名義変更が意味を成さない場合が多い」「形、つまり意識の表明が大事」と言った具合。

 歴史を見てみると、70年代の一部と80〜90年代はほぼ完全に隠れる派、赤松健氏の前後あたりでどんどん商業移行が盛んになっていって、例えば『げんしけん』なんて漫画が普通に成立していたりする。そこでやっぱりこういった同人業界の、所謂一般社会に対する顕在化の流れを当然と思う人と、流れの勢いに恐怖を感じている人との間でいさかいが起きる。どこかで線引きをしなければならないのは当然として、どこで引くかで意見が分かれるのでしょうね(で、「線引きなどいらん!」と言う人と「同人など滅べ!」と言う人、あと同人本を丸々うpする人とか色々と取り締まるお役人とかがいてカオスな状況を生み出していると)。




「MADで売名行為」

 うわこの日記長ええええ!!
 えーっと、「商業コンテンツ提供の際にP名を使うのはOKかNGか」という話題の続きです。
 今回の騒動の発端となった『ツンデレかるた』の製作者にはニコニコ動画で有名になったPが含まれていて、そういう彼らが商業に手を出すことに対して
アイマスMADが売名行為の場になるようでは、MAD製作の動機として不純
 という批判が生まれているわけです。
 これは、「現状でアイマスMADを見ている、つまりP名が影響力を持つ人々に対しての販促効果を狙ってP名を使うのは、MADという二次創作の倫理に悖り、そしてMADを黙認してくれているバンナムに対する背信行為なのではないか、と言う意見があります。

 私が最も気になり、懸念している部分は「P名」を販促目的で使ってしまったところ。

(例の件について‐タクヲ日誌)


 そしてまた、「将来的にMAD業界やニコニコ動画そのものが不健全な場になるのではないか」という考えがあります。これも元々同人業界の大手サークルに対する「金儲け主義ではないか」という批判と繋がるものがあります。

 それに対して
・P名は彼らにとってPNやHNのような物だから、商業移行の際にそのまま使うのは自然な流れ
 という、これまた同人作家の商業移行問題で何度も繰り返されてきた反論もあります。
 「売名上等!」と臆面も無く言う人もあんまり見かけません。
 
 これはMADに限らず『二次創作の同人』の業界で長年議論されていても決着の付かない問題ですね。結局は自分のリテラシー閾値をどの辺りに設定するかで、どの意見に共感し誰を擁護するのかが決定されると思います。
 というかそもそも「彼らが何のためにどういった理由で『P』名を使ったのか」は明らかにされていないのですが。
 


「P名使用問題」の最後になるのが

『P』は企画と関係ない

 というお話。
 ここまで読んでいただいている人は(いるのか?)須くアイマスMADのファンであるはずなので言うまでも無いことでしょうが、『P』はもちろん『プロデューサー』の略。で、
・『ツンデレかるた』と『P』は関係ない。『P』を使うべきではない 
という批判が出るわけです。
 もちろん、上記の「MAD製作者の倫理≒著作権遵守意識」の問題や「売名行為」の問題からこう発言する人もいるでしょうが、何の修辞もなくただ「関係ない。使うべきではない」と発言する場合は「『P』という称号はアイマスだけのものだから勝手に持ち出すべきではない」というコミュニティ帰属意識が働いているのだと思われます。逆に「アイマスMAD界隈の外から『空気読め』と言われないか」という遠慮もあるかもしれません。こればっかりは反論もどちらも感情論に近いので、検証するのは難しいです。但し感情論だからといって無視するのは不毛。


Pたちの立場になって考えてみる

で、このP名使用問題に関して興味深い推理をなさっている方がいらっしゃいました

 おそらくは、「ゆめみPを中心としたアイマス好きのコミュニティが企画を制作会社に出したところ、OKが出た」といった感じなのではないでしょうか。

 ですので、彼からから見たら、「P名を名乗るのが当然」なのだと思います。アイマスプレイヤーであることが、彼らのコミュニティーの原点なのですから。
(金をもらったらアマチュアではないのか‐徒然不定記)

 確かにアイマスMAD界隈にはゆめみPやニセPを中心とする集団があって、何度か企画を打ったりもしていました(口さがない者は『帝国』と呼んで荒らしの対象にしていたようですが)。上記の議論と繋がりますが、彼らからしてみれば『P』も含めてHNであって、外すことは考えもしなかったのかも。

 「相手の立場になって考えてみることが大事」と、かのツェペリさんも赤木さんも言っていましたね。ここは一つ、『ツンデレかるた』の企画者側の立場に立って考えて見ましょう。
 

 以下はあくまで私の妄想です。

 彼らは元々MAD製作者。そこに『ツンデレかるた』の企画がどこからか出てくる(本人たちの内部からかそれとも外部からか。ゆめみPが製作元である有限会社DEARSの関係者と言う噂もあるけど……まあ単なる噂なので無視)。
 彼らにとってみれば

 MAD(著作権的に黒)⇒商業作品(著作権的に白)

 という流れなので、まさか問題にされるとは思ってなかった可能性があります。(まあ「あの」釘宮さんと一緒に仕事ができるという事実に浮かれていて何も考えられなかった可能性もありますが、それは全く関係が無いので置いておく……置いておけるわけがねーようらやましすぎるぜチクショー!

 しかし実際には

 MAD(著作権的に黒)商業作品(著作権的に白)

 であり、商業からMAD側に向かうベクトルの部分(商業に携わった人間がMADを再び作るという意味でも、『表』の関心をMADに向けさせたと言う意味でも)を批判されているのが現状なのではないでしょうか?
 もしそうだとしたら、「いわゆる『MAD氷河期』を知っていたか否か」、「この荒れている現状を予測できたかどうか」の予見可能性が彼らにあると思うかどうかが、彼らを罪に問う=非難するための分岐点になるのかも。


 妄想終了。



 以上で「P名使用問題」を〆ますが、次の問題を含めて今回の騒動の問題点は同人業界でずいぶん昔から言われていたことが多いみたいです。そんな中際立って見える「MAD革新派」の意見ですが、おそらくこれもずっと議論されていた同人業界と商業の兼ね合いの問題なのでしょう。そこから発展して、著作権的にさらに黒と白の境界に立っているニコニコ動画を見ている人の多くが漠然と胸に抱いていた感覚(それが期待なのか恐怖なのかはともかく)の発露だったのでしょうけど、それを大々的かつ体系立てて論述したid:sikii_jさんは凄いと思います。