twitter止めてから一週間で考えたこと

 別にtwitterについて考えてきた積み重ねがあるわけでもないし必ずしもtwitterの使い方として参考にしてもらいたいわけでもないけど、twitterの使い方は人によって千差万別すぎて、各人がこうやって文章を遺すことに意味があると思うので。



 さて、

こう思ったので、とりあえず一週間TLから離れてみた。


 twitterは08年の秋ごろから始めて、ブログや動画のネタまとめ用tweetやネタtweetしたり、時に挨拶botと化したり、一時は一日に3桁くらい呟いていたこともあった。最終的なfollowing-followerはどちらも750くらい。

 でも最近は色々と忙しくて一日1tweetくらいにまで落ちていた。で、冒頭の呟きにつながる。3日くらい前にこのエントリを書こうと決めてからはtwitter関連の記事にも触れないようにしていたけど、それでも特に苦は無かった。



 それで、止めてからちょうど1週間経って感じたのが、まずtwitterそんなにすごくないな」と。いや、webサービスとしては革新的らしいけど、自分の中ではさほど重要ではなかったことに気づいた。

 
 07年の秋からはてダ始めて、08年の春からはてブ始めて、08年の秋からtwitter始めたけど、一番最初にストップしたのはtwitterだった。意外なことに。


 たぶん原因は自分の中にあると思って探ってみたけど、おそらく『最近は雑談のためにtwitterを使っていたから』というのが理由なんじゃないかと思う。

 「何か影響力のある人」や「有名人」のpostを読むために活用している人は多いはず、でも、そういうのははてブやら何やらで誰かがまとめてるのを見られるしね。自分の場合は『共通の趣味を持つ人限定』でTLを作ってた。

 

 で、TLから離れて改めて気づいたけど、twitterはやっぱりこの「あらゆる意味での緩さ」がいいな、と。今更だけど。

 いつTLから離れてもいいし、逆にいつinしてもいい。いつ辞めてもいいし、いつ始めてもいい。深いつながりも作れるし、こういう使い方も出来るのがtwitterの魅力。優先度の低さが気持ちいいサービス。それがtwitter


 逆に、現に今も、ひょっこりTLに戻っていくのもいいかも、と思っているくらいだ。それくらいの適当さで使えるのがいい。


 何しろ別にTLに何かを期待していたわけでもないし、約750人のfollowerから何かを期待されていたわけでもない。そんな関係が心地よくて続けていたわけで、『過度に深い関係を築くことで辞められなくなるネトゲ』を始めたくない自分にとってはもってこいだったわけだ。


 どんなpostをしても、その時TLにいるのは750のfollowerの内1/3くらいで、TLの流れの中で自分のpostを読めているのはその半分、その中でも自分のpostに気を留めてくれるのはさらにその1/5くらいだろう。

 事実、最初の「そろそろ辞め時かな」ってpostはTLに割と人が多い時間帯に発したけど、確認してみたら帰ってきたreplyは空replyが一つと「さびしいですね」と言ってくれた人*1が一人、それだけだ*2。多くの人にとっては「あれ、@gouzouってtwitter辞めてたの」くらいの感覚だろう。それがいい。それくらいで丁度いい。


 それ以上の何かになることに意味は感じないし、なれるわけもないし、故になろうとも思わない。


 自分がいなくなっても誰も気にしないし、ふらっと戻っても何の反応も無い。だからtwitterは居心地がいい。



 twitterはこんな使い方も出来る。変な話だけど、この文章がtwitterを始めるのに二の足を踏んでいる人の一助になれば幸いかもしれない。



 ところで、今やってるタスクが一段落したらTLのみんなが恋しくなってく可能性もあるので、僕が戻っていっても普通に迎えてくれよなっ☆ 

*1:「さびしいですね」と言ってくれた人とは今もはてブで交流はある

*2:あ、あれ、書いてて気づいたけどこれはさすがに俺って嫌われてね? (>'A`)>アーアーキコエナーイ