ネット巡回って楽しいか?
まだ間に合うかな
ちょっと自分語りから入らせてもらうけど、当方、とある同人ジャンルを多くの人に楽しんでもらうためにブログを運営している。
08年の春くらいから活動を始めて、2年弱だけどそこそこの量の記事を書いたし、動画を作って動画サイトにUPしたこともある。
そこで、ふと振り返る。
「俺が行ってきた活動は実を結んだか」
結論としてはNOだ。無駄だった。届いて欲しい人には届いていなかった。増田の理論で言うと、ブログという形でアウトプットしていたつもりがアウトプットになっていなかったことになる。誰にも伝わってなかったわけだから。
目的を達せられるかが重要だ。
例えば『芸術』は「売れなきゃ意味がない」と言う人と「表現することに意味がある」と言う人がいる。 『スポーツ』も「勝たなきゃ無意味」と言う人と「参加することに意義がある」と言う人がいる。『学問』だって「社会の役に立たないものは糞だ」と言う実学主義者とそうでない人がいる。
さて、それで増田は、本当は何が目的で「それ」をやっているんだ?
金を得るためか? だったらはてブ無意味だ。ネット巡回を止めて汗水たらして働くべきだ。
モテるためか? それでもやはりそれは無意味だ。PCを閉じて美容院へ行け。さもなくばえがちゃんの所だ。
それとも、「コミュニケーションを通じて誰かの役に立てる」ため? あるいは「今、空いた時間を笑って過ごすため」?
増田は「ただの消費になっているから無駄」と言う。増田がそう思うんならそうなんだろう、増田ん中ではな。でも、そもそも「役に立つインプット」が増田の目的なのか? 本当に無駄かどうかは増田の中の前提に拠るんじゃないか? 「全ての経験は他人とのコミュニケーションに活かされなければならない」と思っているわけでもないんだろう?
そういうことなんだと思う。
自分を振り返ってみることだ。何が目的でネットを巡回して多くの記事を読んでいるのか。本当に楽しいのは何なのか。
「目的を達成することが幸せにつながる」と仮定してしまうけど、本当に「コミュニケーションの糧にする」ことで楽しむならやり方を変えていく必要があるだろう。ブクマで有村さんやs-fengさんが、トラバでヘッジホッグさんが言ってるように。
「今を楽しむため」にやってるなら何も問題はないと納得してしまえばいい。はてな読みさんが言っているように。
趣旨は全然違うけど「その活動を通じて人々を楽しませる」ことを楽しみたいならさらにやり方を変える必要があるよな。jt_noSkeさんみたいにダジャレを連発するとか(笑)
いずれにしろ、目的によって様々な人が様々な解決方法を提示してくれている。たくさんの人がアドバイスをくれるというのは本当に羨ましい。でも、答えは、答えを見つけるきっかけは、あんがい自分の心の中に転がっているんじゃないかな。
ネット巡回がインプットにならなくてもいい。『楽しみ』の、あるいは『幸せ』の総量が大きければそれでいいだろうさ。増田の人生にハッピーが多からんことを願うよ。