声明とか表明とかそんな感じ

 「人は考える葦である」

と申しますが、逆に言うと思考を放棄した人間は非常に脆弱なものであるという意味でありまして……えー、なんだ、つまり結論から申し上げますと、今の私にはこういった出だしから始まる格好いい文章を綴る能力が圧倒的に足りない。


 「『人間のオスには三つボタンのスーツしかない』と言いますが〜」とか「地上の人間など重力に魂を引かれた者たちだ』という言葉がありますが〜」とか、結婚式や宴会のスピーチで使えそうな枕のある話。ところで、『出だし』って『で出し』でも『出出し』でもOKなんですね。


 これでも私は大学時代は新聞部に所属していておバカなコラムを書いていたり、ふたばの某定時スレでエロSSを書いていたりして、文章を書くということに関しては一家言的なものがあったりするのですが……いや、思えばその頃から所謂格好いい文章を書いていたとは言い難いかも。しかし最近は特にその危機感が強いというか、部屋に帰ってきて頭を空っぽにしてニコニコ観て夜中の3時くらいになってようやく慌てて風呂入って寝るという生活を続けていると、どんどん自分の「思考能力」フォルダの要領がどんどん減っていっていくような気がして非常に不安なのです。どんどん。


 言い訳がましいようですが、給料安いくせになんだかよく分からない内に妙に責任のあるポジションに就いてしまい、毎日胃と頭が痛い思いをしていて非常に疲れているのですよ。仕事で脳みそを使うと、頭の中のチョコレート的な何かが失われていくような気がしませんか。


 それもこういうのとかこういうのならまだマシかと思うのですが……こういうのとかこういうのを何も考えずに薄笑いを浮かべながら見ていると、自分がとんでもないお馬鹿になってきたように思えてきてとっても楽しい気分になってくる気がしないでもないのですよあーおっかしいうっほっほ


 いや話が逸れた。要するに文章を書く能力がどんどん退化していってしまっているのではないかと。ちょっとづつ特訓をばしなければならないかなと思うのですよ。そうすることで、未完のエロSSとか動画を作るための文章力とか構成力とか創作意欲が復活してくるのではないかと。


 具体的には、せっかくはてなに登録しているのだから何か文章を書いていこうかな、と。文筆というのは創作で、創作を創作のための手段化するのはどうかと自分でも思うのですが、まあ、趣味と実益と趣味を兼ねるということで。

 主に普段の生活やニコニコ動画を見たりしている中から思ったことをつらつらと書き連ねていく、似非エッセイだったりコラムだったり。所謂雑文という奴を書いていこうかと思います。ゆくゆくは大西科学さん並の素敵雑文を書けるようになりたいなーっと。いや無理か。




 『思考』は人間が持つ、世界に稀なツールであり、娯楽でもあると思うのですよ。この人間に固有の楽しさを思い出すために、色々やって生きたいなと思うのです。ほら、人間って、考える葦じゃないですか(笑)




……やっぱダメだなあ。