愛がわからない。愛ってなんだ?

 ためらわないこ・と・さぁ〜♪


 ええ、「皆さんの励ましに勇気付けられて復活」なんてことは多分ないので大丈夫ですよ。うん。これ以後しばらく自粛します。



 それはともかくとして、よく言うのですよ。

愛と信念があればいいんじゃねーの

 何、「愛と信念」って。

 
 何をすることが「愛」で何をすることが「信念」なの?


 よく言う話ですよ。
「この作品には愛がある」「この作品には愛が無い」
「この作品は原作をリスペクトしている」「この作品には原作に対するリスペクトが感じられない」
「この人は信念を持って作っている」「この人には信念がない」


 例えば物議を醸したらしいこの記事
 この記事のこの部分

 蔵人Pが言っていたように、公式からの『素材供給』が途絶えて久しい今、『アイマス2』まで間を持たせるには「公式ではない何かの素材」に頼るのが一番手っ取り早い*1。それが例えば『ひねり出したストーリー』でだったり、『絵』だったり、『楽曲アレンジ』だったり、そしてあるいはMMDだったりするんだ。手段の一つだ。バンナムへのリスペクト? そんなものは羊に食わせてしまえ。外に洩らすもんでもましてや他人に求めるもんでもない

 この突如出てくる「リスペクト論」ではある一つの視点を無視していて、「原作素材を多く使う=原作をリスペクトしている」と説明も検証も無く決め付けてしまっている。つまり「素材に頼らずに手間隙かけてより多くを自分で手作りしてしまうことを愛とは言わないのか」ということや「著作権的意味での原作侵害は愛と言えるのか」ということを考慮していない。うんごめん、後から気づいた。

 一体、何が『愛』で何が『信念』で何が『リスペクト』なんだ?

 例えば『純粋なアイマスファンの方々』にとっては、アイマスのアイドル達に原作に無い行動を取らせること、アイドル達にオフォシャル以外の属性を与えること、アイマスを素材にしてMADを作ること自体が「愛の無い行動」なんじゃないか?


 
 物議を醸そうと思ってあまり醸せなかったこっちの記事の続きにもなるんだけど、

信仰や信念を他人に強要できないのと同じように、「創作の動機はこうあるべき」やら「こういう目的で作るべき」やら「愛」やら「リスペクト」やらを他者に対し押し付けるなどということをして良いわけがないしできるはずもないと考えるのですが冒頭の「アイマスである必要」も含めてこの辺についてはまた後日。

 そんな、人によって定義の異なる「愛」やら「リスペクト」やらを他人の創作に求められるのか? どうやって?

 「作品には愛を込めなければならない」「原作をリスペクトして創作しなければならない」

 誰がその『愛』やら『リスペクト』やらを担保するんだよ?




 そもそも、その作品への『愛』とやらは他人と共有できるものなのか?


 例えば仮に、俺がアイマスを愛しているとして、その『愛』とやらはどうやって検証してどこに証拠があって何が保証してくれるんだ? 誰が俺の『アイマス愛』を知るんだ?


 昔、とある未来の偉い軍人が

信念のために人を殺すのは、金銭のために人を殺すより下等なことである。なぜなら、金銭は万人に共通の価値を有するが、信念の価値は当人にしか通用しないからである

                            ―ヤン・ウェンリー

 と言っていたけど*1、『愛』についても同じじゃないかと思うのですよ。




 検証できないもので他人をdisる人がいる。共有できないもので他人を貶める人がいる。

 愛ゆえに人は傷つけあわねばならぬ。愛ゆえに人は傷つかなければならぬ。愛ゆえに……ならば、愛などいらぬ!*2


 愛って何なんだ。それがあれば何か赦されるのか。誰がそれを確かめるんだ。どうやってそこにあることを知るんだ。
 煽りでもなんでもなく、本当に分からない。わかんねー。




 ちなみに、『アイマスDS』の愛ちゃんいらない子じゃないよ! いらない子じゃないよ!!

*1:別のところで「それが提督の信念なんですね」と突っ込まれている他にこの言葉には落とし穴があって、金銭の価値もまた、観念的価値はもとより概念面での価値も万人に共通とは言えないということを見落としている。宇宙暦であっても「貨幣経済とは無縁の、金銭の概念が無い文化」が存在する、あるいは将来的に存在し得る可能性は否定できない。

*2:キカヌナaセッカッコー!ヴァー!ハアアアア!キィーン テーレッテーホクトウジョーハガンケン!ハァーン!!オッサン…FATAL K.O. セメテイタミヲシラズニヤスラカニシヌガヨイ ウィーントキィ (パーフェクト)