なんでニコマスやってんのよ?

 ホント、何でアイマスなんだろうね。



 いや、よく言われる話ですよ。「それはアイマスである必要があるのかないのか」


「アイドルの出番が少なくてアイマスである意味が無い」
「ここまで作れるなら素材がアイマスである必要ないだろ」
「ここまで作れるのに素材がアイマスであることに意味があるのだ」
アイマスだからこそ動画を作るモチベーションが生まれるのだ」
etc.etc...



 ほんと、なんでアイマスを素材にMADを作るの?


 例えばこんな意見もあります。

画面越しのオントロジー 限界と踊ろう

その限界の中においてはじめて、発想も方法(技術)もセンスも芽生えるのです。
限界のないところでは、センスなんて必要ありません。

だからもっと、不可能を楽しもうじゃないですか。
限界と踊ろうじゃないですか。
大丈夫です。楽器の王様と呼ばれるピアノだって、出せる音には限りがあります。
だけど音楽は何千年もその栄華を誇っているのですから。


             画面越しのオントロジー 限界と踊ろう

(技術至上主義っぽい言説ですが、ここで留意しておかなければならないのは、dbdbPの作風はどちらかと言うと技術偏向ではなくむしろ表現に富んでいて、上記の記事ではあえて技術論の極論を提示しているに過ぎない面もあるということ)


 これもよく言われることですが「日本人は制限された中で創作を行うのが好き」。個人的には「日本人だから〜」という民族文化論に落とし込むのは必ずしも正しいとは思えませんが、制限プレイの楽しさは理解できるところです。

 でも、アイマス動画作ってる人の皆が皆そうであるわけじゃないとも思うわけですよ。「限界と踊るのが好きだから」というわけではなく、あるいは逆に「アイマス素材使った方が楽だから」、あるいは「アイマス素材の方が自分の表現したいことを表現できるから」etc.etc...


 素材論から離れてもこの問いは続きます。「どうしてアイマスMAD作るの?」「どうしてブログ書くの?」「どうしてニコマスやるの?」


 「俺のテクニックの凄さを皆に見せ付けたくて人の多い場に居たいから」? 「嫁の可愛さを見せたいから・知って欲しいから」? 「嫁で多くの人を楽しませたいから」? 「『ニコマス界隈』へ参加したいから」? 「単に大勢の人と馬鹿騒ぎしたいから」? etc.etc...


 無論、「理由」ってのはこれらの内から1つだけって訳じゃなく、多様な「理由」が要素となって一つの『動機』や『目的』を形作っている、はず。


例えば

理由 割合
技術を見せびらかしたい 20%
嫁の可愛さを啓蒙したい 40%
双子のお○ものクン○ンしたい 10%
「仲間だもんげ」の一員になりたい 30%

みたいな感じで。(上の表はあくまで一例です)



 そして、これは私の持論なのですが、その『動機』や『目的』をして他者を批判することなどできないと思うのですよ。以前「MADの前ではあらゆる素材は等価」と書きましたが、動機も目的も創作の前では等価値だと思うのです。

例えそれが「俺のテクニックを見せびらかしたい」であっても。

信仰や信念を他人に強要できないのと同じように、「創作の動機はこうあるべき」やら「こういう目的で作るべき」やら「愛」やら「リスペクト」やらを他者に対し押し付けるなどということをして良いわけがないしできるはずもないと考えるのですが冒頭の「アイマスである必要」も含めてこの辺についてはまた後日。




 いずれにしろ、皆さん様々な思いを引っさげて作っておられるはずです。動画だけでなく、ブログにしろ生放送にしろマイリストにしろ諸々。


 考えたいし、考えを聞かせて欲しいのです。

 
 「なんとなくウチの嫁かわいいし、ニコマス面白いし」でももちろん良いとは思うのですが、そこで思考を止めちゃあなんだか寂しいしつまらない。「なぜそれを作るの?」「なぜそれが好きなの?」「なんでそれを素材にするの?」を考えるのは、それ自体大変なんですが*1、凄く楽しいことだと思うのですが皆さんいかがでしょう?


 アンケート取ってると皆さんすごく色々なことを考えているなあと感じます。本当は皆、沢山のものを溜め込んでるんじゃないの? ずるいぜ、もっと聞かせてくれよ。




 この辺、二次創作界隈や同人界隈ではずっと昔から議論されてきていると思うのですがどうなんでしょ。詳しい人に聞いてみたい気もしますが。

*1:私自身上手く言葉にできてはいないのですが