東方とかアイマスとか

1[東方]ゆかりんの腕の中で

 今更ですが『東方地霊殿』買いました。やっぱり4ボス越えられない……。ネタバレ無しでプレイしたので面食らっちゃった。

 それにしても『東方』シリーズって面白いですね。もっと早く嵌っておけばよかったわ。ところで、この素晴らしき『東方』界隈でも古参VS新参の戦いが長く続いているらしいですね。今年の例大祭でも「ニコ動経由の新参が大量流入して古参が困った」問題が起きたとか。詳しくはググるか詳しいブロガーさんに聞いてください。

 や、今回また殊更にその問題に触れようと思ったのはこちらの記事を読んだから。

真性引き篭もり 東方が正しくない時代。

 ニコ動でもプレイ動画、あるいは攻略動画をUPしている人は結構いて、その中には相当数のネガコメが付いている動画もあります(全く付いていない動画もある。なんだろうこのダブスタ)。また、エンディングの動画をUPした人はコテンパンに叩かれていたし、曲の丸上げも批判される傾向にあります。

 こういうところが『ニコ厨』≒『新参』≒迷惑⇒叩かれる。という構図に繋がっているんだろうなーと思ったのですが、今日はそれとはまったく別に、

1-a何故東方では古参と新参がぶつかるのか

 をちょっと考えてみました。まあ、私はニコ厨で新参で東方界隈には全く所属していないような人間で、多分このネタは他の方が495年くらい前に通過した場所なんでしょうけど、ちょっと勘弁してください。




 アンチは別として、ファン同士がぶつかるのは、言うまでもなくぶつかっている人々がその作品に深くのめりこんでいるからであって、ファン同士のいざこざがあるのは作品自体に魅力があるからであるわけです。
 では、東方の魅力って何でしょうか。(もうこの時点で上級者様から怒られそうな気配ですが)

 先ず、東方はシューティングゲームとしての完成度が非常に高い。実はシューティングという軸で東方派とCAVE派(というか東方派と『蜂』シリーズ派。さらにここにケツイ派も混じってくる)も色んなところで争っていて、その争いの醜さたるやファン同士の争いが子供のけんかに見えてしまうほどなのですが、CAVEの作品と並べて語られるというこの一事だけで東方がいかに優れた作品かが分かる気がします。「キャラも音楽もおまけにすぎない。『東方』はシューティングだ」と豪語するシューターは結構います。

 また、東方は音楽も素晴らしい。実のところ私も楽曲の素晴らしさに釣られて東方に嵌りました。アレンジを行う同人サークルも多数存在し、cool&createさんや石鹸屋さんをはじめ、数多くの人気サークルが名アレンジを作っています。これほどまでに巨大化できた同人音楽ジャンルというのは類稀でしょう。他にはあとI've Sound系くらい? 「神主曰く『ゲーム作品は音楽CDの作りそこない』」というネタがあながち間違っていないと言われるほどにZUN氏の音楽の作りこみは素晴らしく、『東方楽曲』だけで1ジャンルとして纏められるほどに東方の音楽は秀でています。

 そして何より、東方はキャラと世界観の設定が奥深い。ZUN氏の稀有な頭脳によって練られた東方の設定群は多くの人の興味を惹きつけて已みません。元ネタをふんだんにちりばめた設定の作りかたははややもすると中二病的で、この辺TYPE MOONと共通すると思います。(そういえば新潟県糸魚川市に出張に出かけた際、姫川大橋の上を通過したときにipodから流れて来たのが『ネイティブフェイス』で感慨深かった。元ネタに実際に触れられるから『風神録』は好き)


 さて、この『設定』の部分が問題なわけですよ。この東方の『設定』を生かして人々は例えば同人誌を作ったり、例えばニコ動で動画を作ったりというファン活動を行う。しかし、このファン活動という大きな流れの中で争いの種が生まれる。

 「アニメ見てないのに/漫画読んでないのに設定だけ調べて同人やる奴ってなんなの?」っていう問題は春香昔からあるわけですよ。それでも、アニメや漫画は先ず設定がありきで、「その作品の設定が好きなんだ」という放言もある程度は許容されていた感があるわけです。

 しかし、東方というのはシューティングゲームなわけで、筋金入りのシューター:シューティング原理主義の人から見ると、肝心のゲーム本編に触れていないのに設定だけを見て騒いでいる人々というのは、アニメや漫画好きの人が、作品に触れずに設定だけを見て騒いでいる人(←言葉にしてみると酷く矛盾を孕んでる)に対して腹を立てている以上に怒っているのではないかと思います。(特に最近の流れでは、「新参=ニコ厨=設定だけをありがたがり祭り上げる」という図式が出来上がってしまい、「古参=シューター」との対立軸が生まれている気配のようですが、もちろんそれは大きな間違い。この論では古参/新参関係ない。古参VS新参の問題はむしろ界隈やイベントに対して関わる姿勢の問題)


 シューターはゲーム本編があれば満足。音楽も、まあ原曲丸上げもちらほら見受けますが、基本的にはゲームがなければ原曲は聴けない。しかし、キャラクターや世界観の設定は、ゲーム本編がなくてもファン活動によって広まり、一人歩きして人々の手にとられ、共有され、更に動きを変えて広がっていくわけです。それこそパーフェクトフリーズの第一弾目や早苗さんの五芒星弾幕のように。そこから「ゲームやってないけど○○作ってみました」が始まり、そこに諍いが生まれるわけです。



1-b東方は懐が広い。だからこそその懐の中で人々は争う。

 そもそもです。シューティングゲームにおいて、設定やらストーリーやらなんてものはもう本当におまけだったはずなのですよ。たとえ『ゼビウス』や『グラディウス』や『ツインビー』や『ダライアス』や『斑鳩』のストーリーが秀逸であったとしても、あの「大佐」ですらシューティングゲームにとってはおまけでしかないわけです(『式神の城』は別。どちらかと言うと東方寄り。あ、『奇々怪界』や『ぐわんげ』も別かも)。

 しかし、東方にとっての世界観やキャラクターの設定というのはもはやおまけの域を超えて作りこまれているわけです。それこそ『設定』だけで楽しめる、『設定』だけで楽しみが完結してしまえるほどに。だからこそ本編派にしこたま怒られても「ゲームやる気が起きない」現象が生まれるのでしょう。

 というかこの状況はZUN氏の掌の上であるとも言えます。ZUN氏に曰く「『東方』自体が二次創作のようなものだから、東方の二次創作についてはとやかく言わない。むしろ積極的にやってほしい」だそうなので、東方の二次創作は推奨されて広まった歴史があります。その帰結としてこの状況が生まれているという側面もある。


 東方は懐が広いのです。そもそもシューティングゲームとして素晴らしい。音楽もいい(というか本当に音楽がいい。それこそ音楽だけでも完結してしまえるほどに。そしてそれが気に入らないシューティング原理主義者もいる)。そして、設定も面白い。多方面に手を広げるのが正義ではないかもしれませんが、どれか一つを取ってみても素晴らしいものは素晴らしい。そして作者である神主も懐が広く、二次創作を黙認どころか積極的に推進してくれる。嵌るべきポイントが分散しているだけでなく一つ一つの構成要素の質が高いからこそ、大量のファンが生まれ、細分化され、その細分化したクラスタ間で諍いが起きているのではないでしょうか。

 やっぱり、人気があるから、良い作品だからファン同士の争いが起きるわけですね。





で、いつもこのブログを読んでいただいている方なら分かると思うのですが、ここからいつもの話。

2[アイドルマスター]社長の腕の中で

  「ティン☆ときた!」

2-a東方とアイマスのあれ

 どうなんでしょうね? ゲームのジャンルとしてはかけ離れていますが、問題のあり方は結構似ていると思うのですよ。

弾幕と音楽が凄いゲーム」とは知ってたけどなんか助けてえーりんだかなんだかが流行ってるなーと思ったら
いつの間にか東方関連が目に入るととりあえず反応してしまうようになってたよ的な。
アイマスの話に戻すならライブシーンのクオリティやとかち祭りに置き換わるわけだけれども。

はてな匿名ダイアリー ニコマス⇔アイマス って要は東方と同じだよね。

 ゲーム部分は面白い。でも多分万人にオススメできるゲームじゃない。多分現在における『シューティング』というジャンルよりも狭い。
 音楽は良い。何せ色んなジャンルの曲がそろっているから、いろんな人にアピールできると思う。神前さんは偉人。
 で、問題は『設定』の部分。東方は置いておいて、そんじょそこらの育成ゲーム、あるいはギャルゲーと比べて、アイマスのキャラクターや設定は深く、広く、良質なものだったでしょうか? 私はアイドル達が大好きなのですが、じゃあ『ポケモン』や『デジモン』と比べて、『Fate』や『ひぐらし』と比べて、あるいは『ときメモ』や『キミキス』と比べて、もしくは『ToHert』や『CLANAD』と比べてどうでしょう? はっきり言ってしまいますが、元から用意されていた「アイドルマスター」の設定の深さや広さは、そういった作品と大差はないと思うのです。

 現実のアイドル(ハロプロとか)はどうだか分かりませんが、アイマスの世界観や設定の広がりはむしろファン活動によるところが大きい

制作側、中の人とファンが一体になって盛り上げているアイマスのようなコンテンツ

狐汁 リアルアイマスはランクSを目指すべき?

 中里さんはニコマスに対してNOと仰っておられるわけですが、現実としてはニコマス以後もラジオで「とかちネタ」について亜美真美が言及していたり(北海道出身の云々)春香が『I want』を歌ってしまったりと、ニコ動から流入したファンが広めたネタもバンナムは拾っている(この辺、逆にZUN氏は意外とわが道を行くタイプで、二次創作ネタを拾ったのはチルノのまるきゅうくらいだったりする気が。「皆好きにやって。自分も好きにやる」ということかも)。

 とまあ、アイマスの『設定』部分も、2008年現在に至るまでどんどん広がっているわけで(そういえば『幻想郷』も作品が進むたびに広がっていっていたかも。そういう意味じゃ同じ道を歩んでる?)、やっぱり広い懐を持っている。一つのプロジェクトを何年も継続するというのは素晴らしい。

 で、ニコ動ではその『設定』を生かした二次創作が広まっていて、やっぱり諍いが起きている、という図式になっているわけですな。


 アイマス派とニコマス派の争いはもう飽きたのでお前ら全員アイマス買って俺の千早をプロデュースした後に桃月Pのランキング動画を全部見やがれとしか言えません。が、
今回の主題はこちら

2-b実はニコマス派内部でも争いがあるのよね。もう笑っちゃう。

原理主義
原典を絶対視する勢力。ここでの原典はおもに原作のアイドルマスターを指す
ニコマスという二次創作の性質上原典であるアイマスとは当然ずれが生じるが、各々の基準で原理主義者はそういうものをdisったりする。
アイマスである必要性がない」とか「だしに使ってる」とか「愛がない」とかそんな言葉が口癖です
ニコマス原理主義者:本スレでニコの話題すんな。ていうかニコマスのせいでL4Uが(ry
ノーマルPV原理主義者:原作以外認めないです。何ノーマルPVdisってんの?
公式曲原理主義者  :わざわざ他の声に合わせるとか我慢ならん
ダンスPV原理主義者 :手描きMADはMADじゃありません。
PV原理主義者    :架空戦記とかキャラをだしに使いたいだけだろ
反教養原理主義者  :アイマスのキャラが政治教養を語るってすげー違和感なわけだが

ぎろかくWiki 用語集

まあぎろかくネタは1/4くらいまでがネタなわけですが、こういった類の争いというのは本当にある。


 例えば架空戦記は「『設定』を生かして広げた二次創作」の最たるもので、批判の矢面に立ちやすいのです。

歌ってみたとか踊ってみたとか演奏してみたジャンルは割と普通にランキング除外対象となっている。
そうしないとJとか有名歌手がランキングを占めるようになるからということで、割とこの除外に関しては大方の人間が同意しているらしい。
で、週マスになると架空戦記動画にネガ米をつける人がいるのはお決まりな感じで、それには一応擁護なんかもつくわけだけど、よくよく考えてみると歌ってみたとか踊ってみたなんかと同様そのシリーズものが毎週ランキングに居座ると不都合と考えているわけだ。
じゃあ歌ってみた踊ってみた、演奏してみたはようするに「仲間」じゃなくて、架空戦記は「仲間」なんだろうな。としてオチとするのは簡単なんだが、僕自身割と架空戦記がいわゆるニコマス内で「仲間」として認められてるかどうかなんか微妙な気がする
(中略)
一方でそういう断絶関係は文化の違うもの同士の必然ということで、こういう断絶があったから異なった文化の良い作品が産まれてきてるってこともあるし、そういった意味では良いこともあるかもしれない。でもなんだろう。さみしいじゃないですか。なんか独立しちゃう感じで。もうあれか、雪歩は黙ってて!と怒られるのが歌ってみたとかで「もうあたしは仲間じゃないなの!」とか言って事務所出て行くのが架空戦記かと。最終的に765プロは何人に減るんですかと。

はてな匿名ダイアリー 仲間だもんげとでも言えばいいのですか?馬鹿らしい

 ちなみに「仲間だもんげとでも言えばいいのですか?馬鹿らしい 」もぎろかくネタ。詳しくはWiki参照。


 また、ノーマルPVは元々アイマス派が布教のためにUPしていたという歴史もあるわけで(というかそういう時代にはニコマスという言葉すらなかった。みんな仲間だった)、ノーマルPV原理主義者というのも確かにいないわけではない。

Yoshikawa アイマスMAD論 初期ってプレイ動画が多いことからも判るようにアイマスというゲームが好きな人がどうにかしてこのゲームの存在を皆に知って欲しいというのがあってその表現方式のひとつがMADだった。それで後からMAD独り立ちした

はてなブックマーク みるたんぷら - GiGirさんによる経緯解説(考察)


 MSC2か何かで手描きや再現MADが批判を受けたこともありました(元は大会規定に対する手法のあり方の問題だったのに、いつの間にか手法そのものへのdisになっていた)。動画の種類、表現手法を理由とした悲しい戦いというものは確かに存在する。



2-cカオスは敵じゃない。味方だ。

 でも、よく考えてみてほしいのですよ。貴方たちの好きなニコマスというジャンルが何故ここまで広く深くなりましたか? それは、あくまでもアイマスの、バンナムの、ガミPの懐の広さがあったからでしょう? だからこそ、多くの人に受け入れられ、大量のファンが生まれ、様々な嗜好の人が住み着いている。「寛容」の下で恩恵を受けた者が「不寛容」を以って「寛容」を駆逐すべきではない。

なぜ、これほどの作品数となったかといえば

そう

気軽にMAD動画が作れたからだ

おかげでアイマスを知らない他ジャンルの人達が

アイマスMADを作成していき

例えば、歌ってみた

例えば、踊ってみた

例えば、描いてみた

音弄りなんかはRIMIXやマッシュアップなど積極的に参入してきた

そればかりか 

今では

さらにジャンルが広がって

架空戦記

ノベル

教養講座

地方CM

そして、他ジャンルとのコラボ

ここまで広がりをみせると誰が予想したことか!

つい昔までは

「キモヲタがやるゲーム」とレッテルを貼られ

一般の人が目を向けることはなかったんだ

それもこれも全て

アイマスの可能性を広げていったからだ!

(中略)

否定だけでは何も生まれない

ランキングに入るかは別として

原作と違うと

それを全て否定することは

断じてあってはならん!

【愛m@s24】ニュー・ニコマス・パラダイス 1


 そういうふうに、単純に「上」と「下」に分けられぬままに進展してきたからこそ、ミステリ界はいまの繁栄があるのではないでしょうか。

 カオスこそ望ましい。なぜなら、それが世界の現実の姿なのだから。上だ下だ、高尚だ低俗だ、文学だエンタメだといって区別してまわるのはただ人間だけなのだから。

ジャンルの上下分離を起こしてはならない。 Something Orange

 id:kaienさんのこの言葉はアニメとミステリに向けられた言葉ですが、あらゆるジャンルに通じる至言だと思うのです。上も下もエリート様も居ないし要らない。だって私たちみんな、仲間だもんね!

  
 東方もアイマスも、本編はカオスだ。何しろ『ゲーム』も『設定』も一つに収まっている。カオスを愛せ。そうすれば本編も愛せる。狢の穴の中で争ってる場合じゃねーぞ。