さて、そろそろニュー・ニコマス・パラダイスの話をしようか。

アイドルマスター,愛m@s24

開催終了から数日たち、世間(=ニコマス界隈)もようやく落ち着きを取り戻しているようですね。
荒川河川敷さんが仰っておられるように最近のニコマス界隈は流れが早い。
一旦熱を冷まして、じっくり一つの作品を見てみるのも良いではないですか。
幸い、ある一点のことに目を瞑れば『愛m@s24』へはいつでも再び参加できるのですから。


というわけで、ここでもう一度語らせて下さい。あの動画を。

洋画の嘘字幕シリーズに定評のある木曜洋画劇場Pの作品。
往年の名作『ニュー・シネマ・パラダイス』を元に、アイマスMADを巡る周囲の人々、つまりニコマス界隈の情景、お祭や騒動を風刺したMADです。

そういった内容のため、その「アイマスMADを巡る周囲の人々」の心に深く染み入る作品となっています。


・敷居の先住民さん

そして、避けては通れないのが『ニュー・ニコマス・パラダイス』。既に各所で言及されているのを読んだ方も多いとは思いますが、これには、やられた。というか、他の誰でもない、僕には必ず直撃する話だってのは以前からこのブログを読んでる人なら当然知ってることだろうけど。要するにツンデレカルタのくだりとか見てて複雑すぎるっちゅーねん! もうね、どうリアクションしていいのやら。

ラストシーンの次々と流される削除動画を泣き笑いで見る感覚。わかるかなあ……。楽しい楽しいアイマスMAD、毎日毎日がお祭り騒ぎ、でもその裏には「諦観」というスパイスが振りかけられているんだ。「いつまで」なんて、考えなければ幸せなのに。

 そんなわけで、明日が来るかどうか誰にも分からないことを自覚していること。僕にはそれこそが、ニコマスコミュニティを貫く前向きな行動規範の基であるように思える。

ムーサの加護にあって、ムーサに教えられたことを語ろう - はじめてのC お試し版

このへんの感覚については、Cさんがこちらの記事でほぼ100%言い表してくれました。うん、これ以上言うことは無い。


その敷居さんをはじめいろんな人に言及されてるのが
ポエミーな文章に定評のある
・はじめてのCさん

 「ツンデレカルタ騒動」の片棒を担いでしまった僕としては、あまりにも複雑な感情を抱かせられる作品です。思えばあれが、僕が本格的にニコマスの世界に足を踏み入れる契機だったような気もしますが、それはともかく。



 二部で形成されるこの作品。前半は事実に基づいたフィクションです。ファンがアイドルマスターの魅力に惹かれニコマスPになっていく姿。高度化していくMAD作品。狭いサークルの中でわいわい集まって新作を鑑賞し、新しい要素の投入を心待ちにするファンたち。一方、人気が出るに従って発生する不協和音。そしてカルタ騒動・・・。

 後半の二つのクライマックス。劇場がニコニコ動画という舞台を模していることは明白ですが、それがボロボロの姿で放棄され、大音声と共に爆破されるシーンは、いずれ必ず来るニコマスの終末を容赦なく描いた、初めての事件です。どんなに楽しい動画を見ても、同時にふと気づいてしまう。こんな楽しい時間がいつまでも続くわけはない。いつも朗らかに見えますが、ニコマスの視聴はその想いと裏表。カルタ騒動しかり。

 そしてラストシーン。もはや言葉は要りません。泣き笑いで震えるトトの姿は、ある人にとっては奇妙でおかしなものでしょうけれど——またある人にとっては、自分そのものであるはず。フィルムに映し出されるのは、ニコマスの歩んできた小さな歴史。その中の一つの物語を、既にニコマスを去ったあるプロデューサーをモティーフに描いてきたこのフィクションは、ここにおいて現実とラップします。

 XBOX360アイドルマスターの商業的成功や、ニコニコでの輝かしい成果が大々的に語られる一方で、実のところ、ニコマスにはいくつものやるせない出来事がありました。この『ニュー・ニコマス・パラダイス』、それ自体が著作権侵害じみた作品であり、ニコマスという世界の抱える泣き笑いを体現しているのは、皮肉としか言いようがありません。



 笑ってばかりの世界ではない。どころか、理不尽なこともたくさんある。だとしても、これからも僕はニコマスを応援したい。たとえその結末が劇場の爆破だとしても、「あの時の気持ち」はいつまでも、想い出として残るでしょう。

お二人とも作品内で語られている『カルタ騒動』に深く関わった方なので、その部分に強い思い入れが。
『ニュー・ニコマス・パラダイス』は、「いつか必ずやってくるニコマスの終わり」について深く描いています。我々は長いネット生活の中でいくつもの「終わり」を見てきました。その経験が、ニコマスという祭にもいつか必ず終わりの時がやってくると告げているのです。『ニュー・ニコマス・パラダイス』は、ニコマス界隈の住民同士のいざこざやまぶたに浮かぶ終焉の時に対する諦念、寂寥感、そしてそれを正面から見て受け止めようという力強さに溢れた作品なのです。


『愛m@s24』が終わってすぐ感想記事を書かれたのがこちら
・おっホイさん

木曜洋画劇場Pさんによる、ニコマス界隈をネタベースとした作品。様々な展開を上手く映画ベースに乗せていて、見ている人が元作品(ニュー・シネマ・パラダイス)を見たくなってしまうというw

色々な事が起きたとはいえ、この中で語られていること、そして木曜洋画劇場Pさんが一番言いたかったであろう内容が、見ている人にがっちり伝わってくる、名作です。

「とある変態紳士達の日常」シリーズでも感じていましたが、この方、一体どれだけ作品を見て、情報収集をしているんだろうか。。w


『愛m@s24』の総まとめをいち早く行った
・そっと××さん

この記事では、「ニコマス」界隈を「比較的に穏やかな"やさしい空気"を持つコミュニティー」と書きましたが、確かにそうも言い切れない、ほの暗い過去がありましたし(そして今もあるでしょうし)、やがて訪れる「終末のとき」を皆が心のどこかで予感しています。

 笑ってばかりの世界ではない。どころか、理不尽なこともたくさんある。だとしても、これからも僕はニコマスを応援したい。たとえその結末が劇場の爆破だとしても、「あの時の気持ち」はいつまでも、想い出として残るでしょう

●ニュー・ニコマス・パラダイス前後編 - はじめてのC お試し版

 自分のこの記事を書くより前に、この動画を見て、ニコマス界隈の過去と、そして、やがて訪れるであろう未来に思いを馳せていたら、この記事の雰囲気も、ちょっと違っていたかもしれません。


ニコマスを盛り上げる手段の一例として紹介された
・本日の、○○してみた。さん

ニコニコ動画 → アイドルマスター を盛り上げたい、と多くの方々が活動されています。



面白いからもっと外側の人にも好きになって欲しい、という人。

内部で当該ジャンルに触れたことの無い人に知らしめたい、という人。

作り手に声を届けたい、という人。

応援する人。

宣伝する人。

作る側からこちらへどうぞ、と誘いの声を掛ける人。

企画を持ち寄って盛り上げる人。

観る人。

コメントする人。



上記の「面白そう」「面白い」「面白かった」な賑わいに引き寄せられた人は、「今面白いなー」と楽しんでいる人の仲間入りをすぐにできるのでしょうか?



人を呼ぶことに力を入れ、見に来た人が増えたとして。

「何に熱狂しているのか、わかりたいけど、わかれない人」

いわゆる取りこぼし、なんて人が出てくるんじゃないかなーと思ってます。



「二次創作というのは外からわからない言葉のやりとりをして楽しむ人の集まりだ」という趣旨の言葉を読んだことがあり、その表現がとても腑に落ちた経験があります。



ごく最近の例を挙げてみますと、この作品。


『愛m@s24』を日毎に追った
・Hall of Fameさん

最後、マジで観た人全員泣いた思う。

ニコマスの愛を感じさせるガチ映画でしたね。これ書いたらもう一度観てくる。



ってか、観てきた。駄目だ、また号泣した・・・。


格闘技に定評のある
・オタ格・海月一彦さん

アイマス動画の歴史を俯瞰しつつ熱いメッセージを伝えてくれる爆笑&感動の一本です。

いわゆる「嘘字幕シリーズ」としても屈指の出来と言えるのではないでしょうか。


世界の曖昧さを愛する
・奇Ring・エッセンスさん

僕らは、この国が永遠の約束の地でないことを知っている。

しかし、だからこそ団結する。

短い時間の中で、揉め事も悲しみもいろいろあったが、それらを通り過ぎて僕らはいまココにいる。

  ムーサの加護にあって、ムーサに教えられたことを語ろう - はじめてのC お試し版

24時間TVという素晴らしいイベントを成功させた皆に感謝を。

そして明日のアイマスに希望を。

検証動画に定評のある
・ごまP

最初は紳士なんですが、途中からの展開がすごかったです。今のニコマス界隈を抉ってます。そして泣いた。

ニュー・シネマ・パラダイスの原作見てみたくなった。


ラジオ、twitterIRCと、周辺のチェックに奔走し、幾つもの記事にわたってレポートした
・YaSuYuKiさん

これは本気で衝撃的だった。ニュー・シネマ・パラダイスが是非とも見たくなる動画。そして、立場は違えど、あのときこの場所にいた誰にとっても痛恨の出来事だった、あの事件が。

この祭にあえて、誰もが深く傷を負いながらも、言葉に出来なかったことを表現した動画をぶつけてきた、木曜洋画劇場Pに敬礼。


・続・空から降ってくるのでさん

(ノД`) 特にニコパラが凄かった‥‥。やっぱね、エンターテインメントってのは「力」があるなあと。笑って泣いて考えさせられて、本当に凄かった

 (゚Д゚) エンタメだからこその切り口であり、だからこその浸透力だわな

(ノД`) そして、あの作品に本当に多くの「よくやった!」という声があがっているニコマスの空気が本当に好きです

 (゚Д゚) うむ


・B.E.A.M.さん

ネタ系だけどただのネタ系にあらず。

そうそう、M@Dというものの位置付けってこんなもんなんだよなぁ。


・左り馬さん

ニコマスの世界観を「ニュー・シネマ・パラダイス」を使って表現したものですが、元ネタでもある「ニュー・シネマ・パラダイス」は見たことないんだがそれでも素直に感動できた( ;∀;) イイハナシダナー

ところどころに配置されたネタと編集の上手さが際立っておかしくも感動できる話になっているので、とりあえずアイマスに興味がなくても見る価値はあると思いますわ


・Babylon C@fe.さん

エンディングはもう心が泣き笑い状態でしたけどね。本当に自分にとってももう見れない(ローカルに保存していないのもあり)動画を見ながら、主人公のトトが浮かべる泣き笑いのような複雑な表情と同じだったに違いない。


ハタから見ればバカバカしい。いや、いつか未来の自分が見たとしたら、どうしてこんなのにバカみたいな情熱を燃やしていたのだろうと思うかもしれない、今はもう見ることが出来ない動画の数々。


いや、それ以上の衝撃的な映像があります。


ラストシーン間際、トトたち劇場に通い詰めた面々が見守る中、廃墟になった劇場は爆破処理され崩れ落ちます。

そう、それはいつか必ずある光景が提示されている。


祭りは必ず終わり、愉快だった場所はなくなっていく。そんなことは言われたくなって判っている。アイマスが52週という期間限定でアイドルのプロモーションをして、あとは否応なく必ず終わりを告げるように、ニコマスの世界もいつかは終わるだろう。終わりのない祭りなんてどこにも存在しない。


「ムーサの加護にあって、ムーサに教えられたことを語ろう」 from はじめてのC


ここに語られているように、参加している人々は心のどこかで、この祭りが一過性であることを認識している。あやうい場所でのあやうい遊びに興じているだけにすぎないということを。


ニコマスが誕生してから1年とちょっと。恐ろしい速さで技術が進歩していく一方、様々な問題を抱えこんだまま、終わりがあることを受け入れても、それでもなお、その場を維持するための労力も惜しんでいないのもまた事実なんだろうなと思います。


ニコマスに関わるすべての者(P、見る専門)達が、この不思議な場に対して何らかアプローチをしている。MADを作成し、イベントを企画し、wikiを整備し、blogで紹介し、ニコ動でタグをつけ、コメントをつける。

精神的な意味でのフリーライダー(ただ乗り)が増えてくればいずれこのバランスは崩壊する。それは自明の理。この世のムーヴメントが抱える寿命は必ずある。


この祭りがどんな形を終息を迎えるのか。

いつか、苦笑いして崩れ落ちる劇場を見守るのか、古いフィルムケースに収まった動画を見るのか。いずれにしても祭りに参加しちゃった以上は楽しまないとウソではありますね。


いつかのためにではなく、今、このときのために楽しむことにだって意味があると思ってます。


・うそ太郎さん※18禁

後半は元映画知ってる上で初期からニコニコの

アイマスMAD見てる人には感動ものかと?

私はわかりませんが元映画借りてみようかしら?


・誠天調書さん

まだ愛m@s24の全てを見終えたわけではないけど これはかなり良かった
権利者削除の恐れもある、今の内に ぜひ見ておくべき。

そして何より
・木曜洋画劇場Pご本人

ここで何か足りないと思いませんか?
そう、トトの幼年期の話です。
この時期の話がなければ、ニュー・ニコマス・パラダイスは完結しません。
ということで、そちらについては6月下旬ころに公開しますのでお楽しみに。
自分の作品についての説明も、その後に・・・

最後に、元ネタとなった「ニュー・シネマ・パラダイス
『映画通向けの映画』と呼ばれるだけあって、映画に対する愛情がこれでもかと込められた作品です。
ただ、映画好きではない方は?と思われた方は、自分の好きなジャンルの作品と置き換えて見るをわかりやすいかと。
動画を作成する、または閲覧する人、双方にお勧め出来る名作なので、この機会に是非とも見て頂きたい所存です。

超級の後半も待ってます><


この作品『ニュー・ニコマス・パラダイス』の登場人物はこれらの人々+αであり、私であり、この記事を見ている貴方達の恐らく殆どの人々です。
キモいかもしれません。馬鹿馬鹿しいかもしれません。しかし私達はこの登場人物のように笑い、泣き、怒り、そして笑っているのです。こんな馬鹿げて下らなくて一銭の得にもならないようなことに本気なのです。
それはとてもとても素晴らしいことだと私は思うのです。

そしてこの作品は楽しいだけでなく、ニコマス界隈が決して平和で安穏とした場所ではないことを容赦なく突きつけてきます。
敷居さんやはじCさんに限らずニコマス界隈で活動してきた多くの人が心に傷を負った『かるた騒動』、そして殆どの人が漠然と危惧している『ニコマスの終わり』。他にもランキングの除外問題(そういえばこの嘘字幕シリーズ自体ランキング除外問題の矢面に立ちやすいジャンルです)やアイディアの枯渇減少など、こういったネガティブな問題に対して真摯に向き合い、そして考えさせてくれるのです。


特に「ニコマスの終わり」というか「ニコニコ動画の終わり」の件。
戀塚さんがtwitterでこう仰ったそうです。

@sugarmaple 動画の視聴そのものはどこまでいっても疑似同期だけど、その全体現象への参加自体は同期

Twitter / Akihiko Koizuka

私は先日の記事で擬似同期性に触れましたが、戀塚さんは「動画一つ一つが持っているのは擬似同期性、お祭全体がもっているのが真の同期性」と仰っています。

それをマクロにマクロにして考えると、我々は「ニコマスという、そしてニコニコ動画という壮大なお祭に同期的に参加している」と言えます。
ニコマスニコニコ動画も、これまでに様々な問題が起こってきました。著作権問題、ランキング問題、かるた騒動、etc……。
そして未来にも様々な問題を抱えています。未だに解決しない著作権問題、参加者・利用者の数、そしていつか来る終焉……。

ニコニコ動画の動画の上では全てのコメントが同期して見えます。それはシステムの根源的な効能ではなく、あくまでも利用者が「同期性が『擬似』であること」に目を瞑っているからこそ生まれる、無意識に目を瞑ってしまうシステムを用いているからこその「楽しさ」です。
そうやって目を瞑ることによって過去も未来も全て現在に集約して「今」を楽しむ。それがニコニコ動画の本質だと思うのです。もちろん運営はじめいろんな人がニコニコ動画の「未来」を考えていることは百も承知ですが。

次々と祭や企画を打ち出して現在を盛り上げようとする今のニコマスの姿は、とりあえず「今」を楽しもうとするニコニコ動画そのものにダブって見えます。いや、むしろ、過去に色々あったからこそ、いつか終わりが来るからこそ、「今を楽しもうとする」心情が働いているように見えます。そしてそれは、一見空しいのですけれども、私の目には酷く美しく面白く楽しいものに映るのです。


我々は今を生き、今を楽しみます。目前は闇に包まれ、その先には必ず「終わり」が存在しています。後ろを振り返ることは出来ても戻ることは出来ません。
いや、逆です。戻ることは出来なくても振り返ることは出来るのです。ラストシーン。あ、思い出すだけで泣けてくるや。
去っていったP達……ありすえP、ぷにえP、イトP……桃邪気P……そして消えていった動画たち……『Loveceat!』『太陽のあずさ』『団結』……。
我々の足下には「今」しかありません。「今」を楽しむことしかできません。
しかし、過ぎ去っていった「今」を。あの時楽しんでいた「今」を振り返ることは出来ます。涙は出ます。それはもうとめどなく。しかしこの手から零れ落ちていったあの「今」たちは、確かにトトのように笑顔によって振り返られるべきなのです。あの時楽しんでいた我々こそが、あれら過去の動画たちにとって永遠なのですから。

現在我々が楽しんでいる「今」も、いつかはこうして過去のものとして語られる時が来ます。我々の「ニュー・ニコマス・パラダイス」が崩壊する時はいつか必ずやってきます。
その時がどうかずっと先でありますように。そしてその時、我々が決して誰かを恨んだり憎んだり傷つけたりしませんように。
願わずにはいられません。




木曜洋画劇場P、すばらしい動画をありがとうございました。
いやぁ、ニコマスって、本っ当にいいもんですね!