私の「はじめてのアイマス動画」その1

 現在、「『はじめてのアイマス動画』アンケート」開催中です。皆さんどうかご協力下さい。
・『はじめてのアイマス動画』アンケート



 ところで、私をアイマス動画にハメさせた動画といえばこちら


 β期はずっと「真赤な誓いいいいいいいいいいい」とか「MOTTO!!MOTTO!!」とか「おっくせんまんおっくせんまん!」ってやってました。アイマス動画は『セクハラさん』を1回観たくらいかな。その時は「ああ、XBOX360のギャルゲーはすごいなあ(いろんな意味で)」程度。


 γ期、アカウントの取得が遅れた私は、youtubeで『ニコニコ動画のコメント付き動画がUPされたもの』を漁っていました。当時はランキング一位になった動画をコメ付きのままようつべにUPしている人が何人かいて、そんな中にこの『CDTV風メドレー』もありました。*1


 驚きました。「なんだ、これは」と。 これほどまでに沢山の動画があって、なんだか一つの「ジャンル」を形成している。少し時間が前後して流行っていた『もじぴったん』やら『Princess Bride』などもある。そしてどうやらそのどれもがやたらと魅力的な動画らしい。*2

 特にトップ30に入っているものはどれもこれも素晴らしくて、ワクワクしました。ドキドキしました。「これはどうやらとんでもないことが起きている」と直感しました。


 γのアカウントをようやく取得して、すぐにその100本のアイマス動画をDLしました*3。直後にネット環境のない土地への出張があって、PCと外付けHDを持っていって、そのDLした100本のアイマス動画を狂ったように観続けました。特に『月下祭』と『エレクトロ』と『天国系』を。


 出張先で私の興奮は最高潮に達していました。映像の美麗さ、ダンスの躍動感、この、彼女達の「生きている」感、そのメッセージ性に虜になっていました。


 当時、アイマス動画のブームはいつ終わるかも分からず、そもそもニコ動の存続自体がどうなるのか分からない状況の中、「少しでも長く彼女達を見守り続けたい」「この祭りにずっと付き合っていたい」と、自然とそう思っていました。


 出張から帰る頃には桃月Pのランキングも始まっていました。毎週作られる神作の数々、それらを讃える沢山のコメント達。もう他のメディアは私には必要なかった。


 蔵人Pのマスベの完成度の高さに唸り、ニセPの企画動画に笑い、えこPの超技術に混乱し、ありすえPの連投には「またありすえか」、未来派先生の動画もヘビロテ、いわゆる「P名文化」にもどっぷり浸かっていきました。そして『伝説の7月2週』と友Pの『PRODUCERS WALTZ』*4



 気づくと、この『場』を愛するようになっていました。少しでも長くここに留まりたい、この遊び場に壊れてほしくないと思うようになっていました。

 えこPについて調べる内に敷居さんの所に辿り着き、mixi以外で初めてブログ文化というものに触れました。なんやかんやで自分もはてなダイアリーを始め、カルタ事件に関与したりもしました。

 その内、なんとなく動画も作り始めたりなどもして、今に至る。



 アイマス動画界隈はいまだにあの頃と変わりゃしません。相変わらず、素晴らしい動画、驚くべき動画、感動すべき動画が毎日のように生まれてくる。

 3年以上の歴史と10万本以上の積み重ねがあるにもかかわらず、今でも新たな技術、新たな表現、新たな解釈、新たな感動が発見される。

 毎日が感動の連続。いつも新鮮な気持ちで動画を巡れる。


 「あの時代にハマっていて良かった」とも「良い時期にアイマスにハマれた」とも絶対に言わない。今でも、いつだって、アイマス動画にハマるには良い日だ。「もう今いる人達だけで楽しんでやっていけば」とか言っちゃう人もいるけれど、私はもっと多くの人とこの喜びを分かち合いたいし、アイマス動画にはもっと多くに人に喜びを与えるだけの力がまだまだある。と思う。



 と言うわけで、この春からネットを、ニコニコ動画を始める人、是非ともアイマス動画を観てみてください。殆どの場合、損はさせません。

 また、これまで散々死ぬほどアイマス動画観て来た人、新規の人の参考のため、是非ともアンケートにご協力下さい。


 是非ともよろしくお願いします。
・『はじめてのアイマス動画』アンケート

*1:『おじいちゃんの地球防衛軍3 』とか『夏休み子供科学電話相談』とかもこのシリーズで知った覚えが

*2:当時は『動画である』ってだけでもてはやされていた時代の最後辺りだったでしょうか。

*3:当時はニコ動の試聴環境もDL環境も今のように整っていませんでした。ブラウザもIE6だったし。

*4:当時は「アイマス動画最終回」と言われていましたが、今振り返るとそんなことはなかった。でも、そういう空気が常に流れている時代でした。